
ある日ふと再生した一本の動画が、そのままディープな音楽の旅の入り口になる。そんな体験をもたらしてくれるのが、東ロンドンを拠点に世界中の音楽文化を発信するYouTubeチャンネル My Analog Journal(MAJ) だ。ヴィンテージのレコードで構成されたミックス、針が落ちる部屋の静けさ、そして映像に映る空気の質感。画面越しのその小さな空間には、どこか見知らぬ国の匂いや、眠っていた記憶のような音が流れ込んでくる。
世界中のレコード愛好家や音楽探求者を魅了し続ける、その独特なアプローチと審美眼は、いまやグローバルな音楽探訪の入り口として確かな信頼を得ている。
このプロジェクトを率いるのが、イスタンブール出身のDJ/フィルムメイカー/コレクター、Zag Erlatだ。だが、MAJはZagひとりの手によるものではない。スタジオの空間設計やチャンネルの世界観に大きく貢献しているのが、パートナーであるShaqti。彼女の繊細なディレクションと美意識が、MAJの空気感を形づくっている。
この前編では、プロジェクト立ち上げの経緯、DIY精神に満ちた初期の試み、そしてMAJがどのようにしてコミュニティを形成していったかをZagに語ってもらった。後編では、MAJのサウンドを支える機材や音響哲学に深く潜っていく。
Euan:まずはロンドンに来た経緯と、音楽や映像の仕事にどう関わっていったのか教えてください。
Zag:2013年にロンドンに移ったのは、イスタンブールでは映画制作の修士課程が充実していなかったから、海外で勉強したいと思っていたんだ。ロンドン・フィルム・スクールには2年制のプログラムがあって、条件的にも合っていたので、片道切符でこちらに来たんだ。
修了後はロンドンに残ることにして、トルコのパスポートを活かして自分の会社を設立できる特別なビザを取得した。会社の活動内容は音楽と映像の両方。ゴーストプロデュースをしたり、映像の現場ではカメラオペレーターやアシスタントをしていた。どちらの道が自分に向いているかを見極めるため、両方を並行してやっていた感じ。気づけばもう12年以上ここにいるけど、そろそろロンドンでの章は終わりに近づいている気がしている。ヨーロッパの中でもロンドンは特にクリエイティブな都市だと分かっていたから、当時からここに拠点を置くことの意義は感じていたよ。音楽の趣味も今とは違って、ベースミュージックやエレクトロニック、ヒップホップ、トラップが中心だった。ちょうど20代前半の頃だったからね。

Euan:My Analog Journalを始めるきっかけとなった出来事、そしてそれが今のような存在へと育っていった過程を教えてください。
Zag:最初の動画をYouTubeにアップしたのは2017年の終わり。当時は収益のことなんて一切考えてなかったし、YouTuberになるつもりもなかった。完全に趣味、情熱だけで始めたもの。大きなモチベーションとなったのはロンドンにいたからじゃなくて、自分の母国トルコの音楽に秘められた「宝物」を発見したことだった。
70〜80年代のトルコ音楽を掘っているうちに、これまで知らなかった素晴らしいアーティストや楽曲に出会い、衝撃を受けた。その感動をきっかけに、最初の動画をアップした。当時、YouTubeにはこの時代のトルコ・サイケデリック・ロックをヴァイナルでDJミックスしている動画はほとんどなかったから、自分でやってみようと思ったんだ。
続けていく中で、視聴者からの反応も良くて、特に「音の雰囲気は馴染みがあるけど、歌詞は全く分からない」というギャップを楽しんでくれる人が多かった。特にアメリカの視聴者には新鮮だったみたい。
そこから「英語以外の歌詞で構成された、ソウルやジャズ、ファンクといったアフリカン・アメリカンの音楽の影響を受けた音楽」に可能性を感じて、この領域をさらに掘っていこうと思った。60〜70年代のプレ・エレクトロニックな音楽、よりオーガニックな質感を持つサウンドにどんどん惹かれていった。
2018〜2019年にはチャンネルの再生数も増えて、さらにコロナ禍のロックダウンが追い風になった。人を家に招けなくなった代わりに、自分ひとりで撮る時間が増えて、機材やライティングにもこだわるようになった。いくつかのスポンサーシップも入り、「ただの趣味」から次のフェーズへ進む転機になった。
その後、僕たちは選択を迫られた。ロンドンの小さなフラットでレコードと照明に囲まれて運営を続けるのはもう限界だった。そこで思い切って専用スタジオを借りることにした。ただし、音楽以外の広告や企業案件には頼らないと決めていた。そういう広告が入ることで、チャンネル全体の雰囲気が壊れてしまう気がしたから。代わりに選んだのが、Patreonによるサポート。コミュニティを育てる方向に舵を切ったんだ。結果的に、それが一番しっくりきた。今では3000人以上が支援してくれている。
Euan:レコード、特にトルコのレコードにどのように惹かれていったのか?また、収集のスタイルについても教えてください。
Zag:レコードというメディアが先にあったわけじゃなくて、自分の好奇心にレコードがついてきた感じ。トルコの音楽、とりわけ7インチのシングル盤には、実験的で多様なサウンドが詰まっていて、そこに夢中になった。トルコの音楽史の中でも、あの時代は黄金期だったと思う。
本格的に収集を始めたのは2018年頃。それ以前は2015年頃から興味を持ち始めていたけど、コレクターと名乗れるほどではなかった。イギリスからトルコに帰省するたびに、専門的なレコードショップを回って何百枚もの7インチを持ち帰っていた。今では多くの店がパンデミックを生き延びられず、オンラインに移行しているけど、個人ディーラーやFacebookグループのオークションなんかも大きな情報源になっている。
ただ、ここ数年で価格がとんでもなく上がった。5〜10年前の10〜20倍の値段になっていて、完全にユーロやポンド基準に引き上げられてしまった。僕は「最後の電車にギリギリ間に合った」と感じているよ。今じゃ1枚の7インチに£300〜500も払う時代。正直そこまで払うのはつらいけど、それも含めてゲームの一部なんだ。
Euan:チャンネル名の「My Analog Journal」という言葉には、音楽以上の意味が込められているように感じる。その由来と変遷を聞かせてください。
Zag:「My Analog Journal」という名前、今では正直あんまり好きじゃないんだよね。「My(ぼくの)」ってつけるのがちょっと“イタい”と感じてるくらいで。でも当時は音楽とは関係なく、完全にフィルム写真のためのアカウントとして始めたんだ。
35mmフィルムや中判カメラで撮るのが好きで、それをまとめて投稿するページを作ろうと思った。「Analog Journal」って名前が浮かんだけど、それは既に誰かが使っていたから、仕方なく“My”を頭につけた。それで「写真用のアカウント」としてスタートしたんだよ。
そのあとでレコードへの興味が本格化してきた。同じアナログ・メディアとして、写真と音楽がつながった感じ。「photography on film, music on vinyl(フィルムで撮る写真、ヴァイナルで聴く音楽)」というキャッチコピーを掲げて、投稿を交互にしていた。1週目は写真、2週目はトルコのレコード、その次の週はまた写真…みたいなサイクルでね。
でもすぐに気づいた。写真の投稿が10の「いいね」なら、音楽の投稿は100。それくらい反応に差があった。「あ、これはたぶん音楽の方に何かあるな」と思って、自然と写真の投稿はやめて、音楽に集中するようになった。
Euan:ロンドンでレコード掘りをするなかで、とくに面白い出会いがあるショップはありますか?
Zag:もちろんある。ジャンルや国で自分を縛らないことを、コレクターとしてずっと意識してきた。だからこそ“My Analog Journal”という名前にも意味があると思ってる。探すのは常に“何か新しいもの”。特定のジャンルだけを狙って掘ることは、ほとんどない。
ただ、やっぱり通う店はあるよ。たとえばVDS London。日本盤やアメリカものを掘りたいときは最適で、棚を眺めるたびに初めて見るものが必ずある。そういう発見から新しい扉が開く感覚がある。
Love Vinylは、ディスコやUSジャズ・フュージョンに強い。Jelly Recordsはラテン音楽や西・北アフリカのレコードに秀でてる。そしてYo-Yo Recordsは、家から徒歩2分。これは嬉しいけど危険でもある。誘惑がすぐそこにあるから(笑)。
Euan:でも、レコードって安くはないよね。
Zag:確かに。でもね、僕はあれを“リサーチ費”だと思ってる。特定のショップにはそれだけの価値がある。彼らの目利きや知識があって、僕は出会えていない音楽にたどり着ける。
たとえばパリにあるHeartbeat Records。地元の人は「高い」って言う。でも僕がパリで買った50枚のうち30枚はそこから出会ったもの。その値段でも、他では見つからなかった音に巡り合える。なかには高いものもあるかもしれない。でもその店員は自分が好きな音を見つけてそこにシンクロしてくるようなお勧めをしてくれる。そういったキュレーションの価値を買っているつもりなんだ。
Euan:いま、MAJを動かしている根っこにはどんな価値観がありますか?また、エピソードのテーマやゲストの選び方についても聞きたいです。
Zag:最初からの軸はあるけど、ここ数年でようやくその本質を自分でも理解できてきた気がする。単なる機材じゃなく、その背後にある“文化”––掘る行為、問いかける姿勢、音楽を共有するという意味––そこにリスペクトを持てるようになった。
たとえばKay Suzuki、Charlie Dark、Cedric Woo、Distant RhythmのJamar、そして同じディガー仲間のMicheみたいな人たちと話しながら音楽を聴く。その体験が、何より大きな学びだった。たった1曲を共有するだけでも、その奥にある文脈や歴史、背景が見えてくることがある。
MAJのアーカイブも、ただの動画じゃなく“記録”として価値があると感じてる。500本近いエピソードがあって、時々過去の回を見直すと、今の自分の視点からまた新しい発見がある。そういう再発見の連続なんだ。
いま大切にしているのは、「コミュニティ」「ダンス文化」「リサーチ」、そして音楽の背景にある“困難”を知ること。前はもう少し内向的だったけど、今はちゃんと質問して、人と会話して、その音が鳴る理由を探りたいと思うようになった。MAJをやってきたことで、僕自身が変われたと思う。
出演者を選ぶときは、「何をプレイするか」より「どんなストーリーか」を重視している。研究と記録の側面があるから、テーマがあって、何か新しい角度を見せられるかが大事。もちろん、そういう回はバズらないことも多い。でも、そこにこそ面白さがある。
出演者はだいたい“友達の紹介”。たとえばKayが「この人おすすめ」と言ってくれたら、まず間違いない。そういう関係性で繋がっていくのが一番信頼できる。もちろん、直接応募してくる人もいて、数百フォロワーしかいなくても、ニッチなジャンルで面白ければ招待することもある。ただ、「ディスコやりたい」とか、そういう漠然としたリクエストは避けるかな。もう星の数ほどあるから。
MAJには、再生数では測れない回がたくさんある。たとえばブラジルのDJを招いた回。彼のプロジェクトは、カリブのリズムが流れ込んだブラジル音楽——「サンバ、その先へ」みたいな世界観をテーマにしていた。個人的には本当に衝撃的な内容だったけど、再生数は16,000程度。ジャズ・ハウスの回が10万を超えるのを思うと、悔しいくらいに埋もれてる。
カザフスタンからわざわざロンドンに飛んできた人もいた。その国の音楽を世界に紹介したいという一心で。自分たちの場所を、MAJというフィルターを通じて伝えたい——そんな思いを持ってくれているのは、正直とても光栄だと思う。
「夜明けのダンスパーティー」をテーマにした回も、すごく印象深かった。朝6時、疲れた身体にふっと戻ってくる幸福感、あの終盤の高揚と多幸感をそのままパッケージにしたようなセッション。あれも15,000再生くらいだったかな。数字では測れない、けれど本質に近いものが詰まっていたと思う。
自分は、MAJを通して多くの人に伝えたいことがある。「キックがなくても、音楽で踊れる」という感覚。クラブで鳴るビートだけじゃない、もっと広くて深い、身体が自然と揺れる音楽があるんだということ。初めて Beauty and the Beat や Lucky Cloud Soundsystem のパーティーに行ったときのことは忘れられない。スナックや果物があって、みんな笑顔で、6時間でも8時間でも平気で踊っている。クラブというより“祝祭の空間”に近かった。あの場を体験したことで、自分も「踊るのが好きなんだ」と気づけた。あれを味わってしまったら、もう戻れない。
MAJというプロジェクトには、終わりがない。というのも、音楽は永遠に掘り尽くせないから。たとえ一つの地域やテーマを取り上げても、別のDJが違う角度から光を当てれば、全く別の風景が見えてくる。同じジャンルでも、まったく違う物語がある。それを一つずつ紐解いていく。それがこのチャンネルの本質だと思ってる。
最近ではタイトルのつけ方にもこだわっていて、「遊び心」のある名前にするようにしてる。そうすることで、もっと多くの人が興味を持って扉を開いてくれる。情報としてだけじゃなく、出会いとしてのきっかけをつくる——そんな小さな仕掛けも、今では大事な要素になってきている。MAJが目指しているのは、“音”を通じて人と人とがつながる場所。単なるプレイ動画でも、情報チャンネルでもない。音楽を介して、文化や歴史を共有する会話の場でありたい。
次回の後編では、MAJのサウンドを支えるオーディオ哲学や機材の話へ。Tannoy、Condesa、Audio Gold——レコードが「鳴る」ということの意味を、もう少しだけ深く掘っていく。
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