鳥山雄司: 天才ギタリストと80年代のマシン達
フュージョンギタリスト/アレンジャー/プロデューサー鳥山雄司が80年代前半に残した厳選されたインスト作品。当時の最先端機材のドラムマシンやシンセを駆使した前衛的な試み、卓越した音楽センスが随所に光る。
鳥山雄司は1959年に神奈川県藤沢市、所謂”湘南”で生まれ育つ。ビーチに集まる裕福な若者の自堕落な人生を描く石原慎太郎作の人気小説と映画「太陽の季節」や「狂った果実」の舞台にもなった1950年代〜1960年代の湘南は、その後、加山雄三が若大将としてハワイアンを歌い、米軍基地の存在もあった事から、アメリカからの音楽文化が当時から波及していた街だった。
鳥山の父親は大学在学中と卒業後湘南のライヴハウスでプロのギタリストとして活動して おり、米軍基地でも頻繁に演奏をしていた。当時の米軍キャンプ内で演奏を許されたミュージシャンにはA、B、Sとランクがあり、Sランクになるとオフィサーズ・クラブという上官だけが立ち入り出来るクラブで演奏する事が許され、ギャラも格段に違ったと言う。当時のアメリカで流行っていた最新の音楽が常に手に届く環境にあった鳥山の父親は、好んでジャズやカントリー&ウェスタン、ハワイアンのレコードを聴き漁り、息子には意識する以前からオモチャの代わりにウクレレを与えて英才教育に励んでいた。鳥山が7歳にもなるとようやくギターでFのコードが押さえられる手の大きさになり、直ぐに父親の聴いていたバーニー・ケッセルやタル・ファーロウ等をコピーしていた。
60年代も後半になるとブラジル人アーティスト、セルジオ・メンデスが人気を博すようになり、日本にもボサノヴァのブームが到来。幼少期の鳥山は特に日系ハワイアンのウクレレ奏者、ハーブ・オオタ氏に多大な影響を受け、10歳になる頃にはギターで超絶技巧のジャズ・ギタリストを模倣する傍ら、ウクレレによるボサノヴァ演奏にも熱を入れていた。
鳥山はその後、慶應義塾中等部へ進学する。1学年に18クラスという現在では考えられない程のマンモス校、更にエスカレーター式の学校で受験も無いこの学生時代に、上級生と混じり合い、バンド活動に勤しみ、ギターの腕を更に磨いていった。大学に入るとOBから声をかけられ、彼等が勤めるレコード会社に作曲するようになる。そこが慶應義塾大学の卒業生の多くが在籍していたアルファ・ミュージックだった。
アルファ・ミュージックは同じく慶應義塾卒の村井邦彦が設立した日本で初めてのインディペンデント・レーベルの一つ。元々、音楽出版会社と原盤制作会社として1969年に始まり、荒井(現・松任谷)由実やハイ・ファイ・セットをはじめ、吉田美奈子、佐藤博、深町純、カシオペア他、多数のアーティストを世に送り出し、日本独自の“ニュー・ミュージック”と言う新しいジャンルを開拓した。村井は1978年にはアルファの音楽的アイデンティティを築いた細野晴臣と共にYellow Magic Orchestraを世に送り出し、世界成功に導く。鳥山もこの頃からアルファのスタジオに出入りし、周辺ミュージシャンのライブ・サポート等をこなしていたが、中々自身のソロ・アルバムの契約には結びつかなった。
1970年代後半から80年代前半までの日本のギタリストの注目の的は、フュージョンだった。そのジャンルの全盛期にリー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラ等が人気を博し、国内でも鳥山自身がサポートを務めていた高中正義や渡辺香津美と言ったギタリストの人気は絶頂。どこのレコード会社もブレイクする次世代の若いフュージョン・ギタリストを探していた。そんな折り、「およげ!たいやきくん」の大ヒットで一気に国内屈指のレコード会社にのし上がったポニー・キャニオンの常務取締役に就任していたのが、何と鳥山の父親の米軍キャンプ時代に組んでいたバンドのベーシストだった。結局、鳥山は大学在住中の1981年に自らプロデュースした初ソロ・アルバム『Take A Break』を同社から発売する事になる。生演奏のメロウなジャズ・ファンクが主体のこのアルバムは、鳥山の若き才能を一躍世に知らしめる事になったが、鳥山自身は音の完成度に満足しておらず、徐々にレコーディングにおける音作りそのものへの興味が増して行った。
鳥山は翌年の1982年にロサンゼルスに渡り、2枚目のソロ・アルバム『Silver Shoes』をL.A.在住のミュージシャン/プロデューサーのニール・ラーセンと制作。この時に彼の所有していた最新のドラムマシン、シンセサイザー、そしてまだプリミティヴな機能のシーケンサーと出会い、更なる音作りの可能性を感じ、当時の難解で時間のかかるプログラミングを覚えて行く。
この頃までの鳥山の音楽的趣向は主にアメリカのフュージョンに傾倒していた。西海岸系や東海岸系のフュージョンどちらも彼にとっては刺激的で、A&M、CTI、CBS等のレーベルから発売されていた”クロスオーバー”と呼ばれたアメリカの最先端のジャズに憧れていた。しかし1982年には、マイケル・ジャクソンのモンスター・アルバム『スリラー』が発売。MTVの放送も始まり、音楽業界内の影響力が急速に拡大しつつあった。そんな流れの中、デュラン・デュランやカルチャー・クラブ等の英国の音楽を聴き始めた鳥山は、それまでの音楽的に難解で演奏技術へのこだわりの強い音楽から、新しいアイデアや音作りを重視した、新たにイギリスで産まれて来ていた音楽へと傾倒し始める。また、時を同じくしてアルファ時代の先輩でもあるY.M.O.の世界的成功もあり、シーケンサーを使用したいわゆる”テクノ”な音が新鮮に感じていた風潮があった。
同じ年、鳥山が所属するマネージメント会社はアメリカのエアロビクス協会から日本のTV番組用のサウンドトラックの制作依頼を受ける。これから流行るだろうと言われていたエアロビクスを毎日帯の時間で放送する番組で、放送中のデモンストレーターと視聴者の心拍数を一定以上キープする為に、このサントラにはドラムマシンの正確無比なタイムキープ力が求められていた。当時、難解なドラムマシンやシーケンサーを操るのはマニュピレーターと呼ばれた専門家の仕事であったが、鳥山は当時稀に見るマルチ・タレントであり、作曲、演奏とさらにプログラミングも出来る数少ないスタジオ・ミュージシャンだった為、真っ先に白羽の矢が立った。そして日本初のサルサ・バンド「オルケスタ・デル・ソル」の主要メンバーでもあるキーボーディストの森村献と共にこの企画を製作する為スタジオ入りする。彼らはLinn LM-1 ドラムマシン、Roland CSQ-600 シーケンサーを使用してベーシック・トラックを録音。それから鳥山のギター、森村のフェンダー・ローズ、Moog Minimoog、Sequential Circuit Prophet-5などのシンセサイザーの様々な音色を積み重ねてアルバムを制作。このアルバムの制作から産まれたのが、傑作ブギーである本作 (A1) 「Night Together」 である。
1984年、鳥山はハワイにあるシー・ウェスト・スタジオで3枚目のソロ作品『鳥山雄司』を制作。マーヴィン・ゲイも歌入れに訪れたこのスタジオには、オーナー兼エンジニアであるRick Keeferが所有する改造されたRoland TR-808 ドラムマシンや、当時最先端のデジタル・サンプラー Synclavier II 等が装備され、鳥山の製作陣はそのスタジオから産み出されるサウンドに完全にノックアウトされていた。鳥山は更にL.A.からわざわざSequential Circuit Prophet-5 をこのハワイのスタジオへ手配。日本でRoland CSQ-600にアイデアを打ち込み、スタジオでSennheiser VSM-201 ヴォコーダーや Roland G-505 ギター・シンセサイザーと言った最新機器を次々に試し、Rick Keeferや日本から連れてきたミュージシャンと共に実験とセッションを積み重ねた結果、本作の(A2) 「Stranger In The Mirror」 や (B1) 「Donna」 といった作品が出来上がる。
4枚目のソロ・アルバム『A Taste Of Paradise』(1985年)を手掛ける頃には、鳥山はギタリストとしての仕事よりもアレンジやプロデューサーの仕事をよりこなすようになる。自宅でプログラミングを済ませ、短時間のうちにスタジオで楽曲を仕上げられる数少ないミュージシャンだったため、鳥山には多くの仕事が殺到。この頃に更に興味深い録音機器や電子楽器に没頭していく。鳥山は特にアルファ・ミュージック時代からの先輩でもある佐藤博に多大な影響を受けており、彼から様々なプログラミング手法や機材の扱いについての手ほどきを受ける。当時の日本のスタジオで多く見られた機材としては、電子サンプラーの Fairlight CMI や E-Mu Emulator。その他多くのスタジオは高級ポリフォニック(複音発声可能な)シンセサイザーのOberheim Poly FVS-1、Sequential Circuit Prophet-8と10、 Roland Jupiter-8等を所有していた。1984年には電子楽器の演奏データを転送する世界規格のMIDIが登場。鳥山の仕事の効率も格段に上がって行った。
(B2)「 Maze」 はパット・メセニー・グループの1982年発売アルバム『Offramp』に収録されている楽曲、「Barcarol」 にインスパイアされ制作された。改造を施した Sequential Circuit Drumtraks ドラムマシン、ベースに単音シンセサイザーの Sequential Circuits Pro-One とYAMAHA DX-7 シンセサイザーを Roland MC-4 シーケンサーにプログラムしてベーシックなトラックを作成。更に Fairlight CMI でオーケストラヒットのサンプルを加え、パット・メセニー同様、Roland G-505 ギター・シンセサイザーを録音し完成させた。 (B3) 「Bay / Sky Provincetown 1977」 は当初アコースティックな楽曲を想定して作られたが、鳥山のミニマル音楽からの影響が録音中に閃き、シンセサイザーのシーケンスや、ミニマル音楽的なパーカッションが加えられた。最終的な仕上がりを聴いた共同プロデューサーの立川直樹氏がヨーロッパのどこかの海辺の街を連想させられるという発言により、タイトルが決まった。
本作、『Choice Works 1982-1985』 には鳥山がこの時代に創造したインスト5曲が収録。この時代に誕生した様々なエレクトロニック機材や楽器を積極的に駆使した鳥山が残した作品の多くには、当時放った彼の実験的精神と自身が本来持つ魅力でもあるギタリストとしてのミュージシャンシップが存分に発揮されている。また近年、コンピューターやソフトウェアを駆使して音楽制作をしてきた現代の多くのトラックメイカーやプロデューサーが、アナログ機材やハードウェアのエレクトロニック機材が持つ特有の音響に惹かれ、デジタルからアナログでの制作環境へ回帰する傾向があるが、本作に収録された楽曲が使用していた当時の機器は、ちょうどアナログからデジタルへの移行時期でもあった為、まさに現代の耳が今、欲している音でもあり、当時の音響の素晴らしさも顕著に感じる事が出来る。また本作はロンドンの名門メトロポリス・スタジオ所属のグラミー受賞マスタリング・エンジニア、ティム・ヤングが再マスタリングを施し、全曲全てが初めて45回転の高音質大音量で収録されている。
ライナーノート: Kay Suzuki
(*こちらのタイトルは現在は販売を終了しています)






