タイムカプセル

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ガブリエルを映した鏡たち:無限の舞の音

ガブリエル・ロス&ザ・ミラーズの、霊性・心理学・音楽が交わる打楽器的宇宙を辿る。

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Nov 10, 2025
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ロバート・アンセルと”バーサ”と名付けられたスー族のポニードラム

(オリジナル英文:アントン・スパイス、調査・翻訳:鈴木恵)

ザ・ミラーズはガブリエルという人間を映し出す存在だった。ただガブリエル・ロスはこの名前が示すような、所謂「音楽家」ではなかった。

彼女は楽譜を破り、その場の雰囲気を作り、自らの身体の動きを読み取るように音楽家を導いていく「ガイド」であり「触媒」だった。

その意味で、ザ・ミラーズも厳密にはバンドではなかった。

ガブリエルの夫でありドラマーのロバート・アンセルを中心にした彼らは、彼女のダンス瞑想〈ファイヴ・リズム〉から放たれたエネルギー体であり、常に形を変える集合体だった。

彼らが奏でたのは「聴くための音楽」ではなく、「感じるための音楽」、意識を変容させるための音楽だった。ロスはかつてこう言い放った。

「これは“ダンス”の話だと思ったの?」

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アーバン・シャーマンとも呼ばれたガブリエル・ロス

ガブリエル・ロスのように多方面なスピリチュアル・ジャーニーを歩んできた人にとって、身体の動きはそれらを結ぶリンクだった。

実験心理学やトランスパーソナル心理学、サイケデリックなカウンターカルチャー、禅仏教に至るまで。そのすべてが彼女の中でひとつの波となって流れていた。

若くしてプロのダンサーとしての道を怪我で絶たれた彼女は、60年代にカリフォルニア州ビッグサーのエサレン研究所でその天職を見出す。

ティモシー・リアリーやアラン・ワッツらが行き交うその実験的な場で、彼女はアブラハム・マズローの「自己実現」理論に魅せられ、ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズのもとでムーブメント・クラスを指導した。

統合失調症患者に自由な踊りを教えながら、身体を動かすことで心が自己修復するという確信を深めていく。

「身体を使って心を動かせば、心は自ら癒えていく。」

その後ニューヨークで彼女は、アリカ派の創始者オスカー・イチャーゾと出会う。彼の「エニアグラム」、「意識の地図」は、ロス自身の思想に理論的な骨格を与えた。彼女の有名な言葉がある。

「動くこと、それが私の薬であり、瞑想であり、人生を語る言葉であり、方法である。」

その時々の学びは、彼女の内なる炎を燃やし続けその旅路を押し進めていた。彼女はネイティヴ・アメリカンのシャーマニズムに惹かれ、やがてワークショップに生演奏のドラマーを招くようになる。

それが後に彼女の生涯の仕事となる、ファイヴ・リズムの基礎を築いた。

それはアフロ・ブラジルのカンドンブレや、ラスタファリのナイヤビンギにも通じる、打楽器を中心としながらも祈りの要素から離れた、純粋な恍惚状態だった。

ロスは一貫して自我の探求に焦点を当てていた。彼女が考案した〈ファイヴ・リズム〉とは、人間の潜在力を解き放つためのムーブメント瞑想であり、「あらゆる生命はエネルギーであり、波やパターン、リズムとして動いている」という思想に基づいている。

フローイング(流れ)

スタッカート(打点)

カオス(混沌)

リリカル(抒情)

スティルネス(静寂)

彼女は「魂の地図を描く人」であり、音楽はその旅路を導く羅針盤のようなものだった。


彼女の持つ神秘的なパワーの威力を何よりも示しているのは、のちに夫となるロバート・アンセルの変容だろう。非常に成功を収めていた刑事弁護士から一転、リード・ドラマー、そして打楽器民族音楽の探究者へと急遽ヒッピー化した。ロバート自身こう語っている。

「ガブリエルが僕たちに見せてくれたこと、それは世界と自分とのあいだに無意識に築いてきたパターンを、もう一度見つめ直すことだったんだ。」

スーツ姿で法廷に立っていた1977年当時の彼が、自らの真実を判事の前ではなく太鼓の背後に見出すことになるとは、誰が想像しただろう。ニュージャージーを拠点にしていたガブリエルとロバートは、当時のダウンタウン・シーンの周縁に身を置きながら、あらゆる表現の可能性を模索していた。

ザ・ミラーズが最初に始まったのは、劇団としてだった。ガブリエルはそれをこう語っている。「ここは実験場だったの。“人間であること、しかも〈まるごとの人間〉であるとはどういうことか”という私の執念を研究するための場所。私たちは自分たちの人生をアートに、ダンスに、歌に、詩に、そして演劇に変えていった。その行為そのものが癒しだった。」

その後、ロバートを中心にして初めてのレコーディングが行われる。1982年、ガブリエル・ロス&ザ・ミラーズのデビュー作 Dancing Toward The One / Sacred Rock が誕生した。

彼らは〈ファイヴ・リズム〉の構造を音楽に直接マッピングすることを試みた。ロバートはこう回想している。「ガブリエルは“5つのリズムを途切れずに波のように進行させたい、各5分ずつ”と言った。私たちは6人のミュージシャンと3人のボーカリストで、25分のライブ録音を24トラックで一気に録るという壮大な試みに挑んだ。何週間も準備してチャートを作り、リハーサルを重ねた。ところが録音の5分前、ガブリエルがスタジオに入ってきて、チャートをすべて破り捨てたんだ。そして『私が踊るから、私を演奏して』と言った。」彼らはそうした。

その結果生まれた音楽は、想像通りのカオスだった。5つの動きのモードをあまりに文字通りに辿る、ややぎこちないプログレ的な音。続く2作目 Pray Body の冒頭曲「Hiroshima / Nagasaki」は、リジー・メルシエ・デクルーや80年代NYポストパンクを思わせる軽快さを持ちながら、後半には語り口の童謡のようなパートが差し込まれた。「ロックンロールの祈りを、踊る神に捧げよう」というような疑問視せざる得ない歌詞も多く、伝統的なソングライティングという点ではまだ未熟さが残っていた。ロス&ザ・ミラーズを“ロックバンド”として捉えることには、どこか違和感があった。エゴが強すぎたし説教染みていた。彼ら自身、ガブリエルの教えをもう少し体現する必要があったのだろう。ガブリエル・ロス&ザ・ミラーズを本質的に理解するためには、再び“ドラム”へ立ち返る必要がある。


1960年、ナイジェリア出身の名パーカッショニスト、ババトゥンデ・オラトゥンジが『Drums of Passion』を発表した。ヨルバのリズムを集めたこの作品は、アメリカ社会に衝撃を与えた。それ以降、オラトゥンジは多くの重要なジャズ作品に参加し、運動家としても活動するようになる。公民権運動の渦中ではマーティン・ルーサー・キング・ジュニアとともに南部をツアーし、ジョン・コルトレーンの支援を受けてハーレムに〈Olatunji Center for African Culture〉を設立。数千ものドラム・ワークショップを通して、当時まだ誤解されていたアフリカ音楽の真価をアメリカに伝えた。

それは、聴く者にとってまさに啓示だった。ワールドミュージックという言葉がまだ新しかったその時代、オラトゥンジはやがてガブリエル・ロスの世界と触れる事になる。

彼はロス同様にエサレン研究所、そしてニューヨークのオメガ・インスティテュートで教鞭をとり、その弟子でありツアー仲間でもあったゴーディ・ライアンとサンガ・オブ・ザ・ヴァレーが、ザ・ミラーズに参加。彼等の揺るぎないグルーヴの要となった。このようにして以後三十年にわたり、オラトゥンジの鼓動はザ・ミラーズの音楽の根底に流れ続けることになる。

興味深いのは、ジャマイカの伝統的クミナ・ドラムとオラトゥンジの録音が、カウント・オジーのナイヤビンギを生んだとも言われていることだ。

アフリカで生まれたリズムが、アメリカを渡り、カリブで再び根を張り、そしてガブリエルの身体を通して音へと還ってきた。ひとつの魂の連鎖がここにある。

サンガ・オブ・ザ・ヴァレーとロバート

ブライアン・イーノとジョン・ハッセルによる『Fourth World Vol.1: Possible Musics』が発表されてから、すでに5年が経っていたその頃、ガブリエル・ロス&ザ・ミラーズは3作目となる『Totem』を制作していた。それは〈ファイヴ・リズム〉のワークショップから生まれる、即興的でアンビエントな音の探求を録音として捉えようとした作品だった。とはいえ、その意図が当時どれほど理解されていたかは定かではない。ロバートにとって課題は常に目の前にあった。

「僕の役割は、ガブリエルがその瞬間に必要とするエネルギーの土台を作ることだった。彼女がダンサーたちを導きたい場所へ辿り着けるようにね。」

1985年以降に作られた作品群、つまり今回のコンピレーション Selected Works 1985-2005に収録されたトラックは、そうした新しい音楽の作り方を提案していた。

それはガブリエル・ロスの思想の本質に、より近いものだった。ドラマーのゴーディ・ライアンは当時をこう振り返っている。

「ガブリエル・ロス&ザ・ミラーズのレコーディングで美しかったのは、音楽がいつも“踊り”から生まれていたことだ。スタジオに入る前にまずグルーヴを作り上げ、そこからガブリエルが踊り、ダンスと音楽がひとつになる“無限の瞬間”へ入っていく。その状態で録音しながら、曲の核となるリズムを作っていった。」

ロバートは自らを「音楽的食物連鎖の最下層にいるドラマー」と冗談めかして呼んでいたが、そのビートはいつも作品の心臓的鼓動(ハートビート)だった。ガブリエルから1980年代初頭に贈られた、スー族のポニー・ドラム「バーサ」がいつもその中心にあった。それ以降のザ・ミラーズのほぼすべての録音で、このドラムが鳴っている。

彼は時にネイティヴ・アメリカンのタオス・ドラム、ヨルバやイボのバタ、東アフリカのキヘンベ、日本の歌舞伎太鼓やコンサート・トムなども使った。しかし出発点はいつも「バーサ」だった。

「ガブリエルと僕は、腰を揺らすボトムから曲を組み上げていった。そこにどんなベースを加えるか、どんな歌声やバイオリンを入れるかを決めていったんだ。」

ロバートの土台の上には、ゴーディ・ライアン、そしてのちにサンガ・オブ・ザ・ヴァレーというオラトゥンジ・バンドの花形ドラム奏者が時に激しく、そして時にやさしくビートを刻んで行った。その上にその時々の友人やプロのミュージシャンが加わり、ひとつの“流動する楽団”が徐々に形成されていく。

「僕たちは誰にも“こう演奏してほしい”とは言わなかった。」とロバートは語る。

「ガブリエルが音楽家に語りかけるのは、いつもメタファーだった。『山の頂に立って、風を感じてみて』みたいなね。それぞれのアーティストが自分の限界まで行き、自分の音を捧げる。それがこの音楽の秘密だった。」

数々の録音を残したNYのスカイラインスタジオ。録音は通常営業が終わった夜中に行われる事が多かった。

ザ・ミラーズの音楽は、演奏者たちの個性が響き合うことで生まれていった。たとえば、サン・ラ、ファラオ・サンダース、ザ・ラスト・ポエッツといった名だたるアーティストと共演してきたベーシストのアレックス・ブレイク。彼の張り詰めたような超絶技巧が「Eliana」に生きている。

『Seducing Hades』ではギル・エヴァンスの共演者でもあったデルマー・ブラウンが参加し、まるでクラフトワークやクラスターを思わせる宇宙的なシンセの質感を加えた。

ジャイ・ウッタルのドタラが曲のトーンを決定づけることもあれば、ハーン・ガドボイスのダラブッカが全体を引き締めることもあった。

「Stefania’s Song」では、ユーロヴィジョン出身のサラ・カールソンと、アヴリル・ラヴィーンとも録音した経験を持つドラマー、ジョー・ボナディオという意外な組み合わせも聴ける。このコンピレーションに収録された楽曲だけでも、約40人のミュージシャンと同じ数の楽器が登場する。ロバートはこう語る。

「ミラーズは僕やガブリエル個人の音楽的ヴィジョンではなく、多くの人たちのヴィジョンがぶつかり合うことで生まれたんだ。」

その音楽は“鏡の間”のようだった。さまざまな音楽家の人生や影響、感性がガブリエルの周りで反射し、混じり合い、ひとつのうねりとなって身体を揺さぶり、心を解き放っていった。


録音の中心には、ロバートの息子スコット・アンセルがいた。彼は当時まだ駆け出しのエンジニアだったが、すでにニューヨークのスカイライン・スタジオで見習いとして働き、ライヴハウス〈CBGB〉のサウンド・ブースでも腕を磨いていた。のちにナイル・ロジャース、デュラン・デュラン、グレイス・ジョーンズらの作品を手がけることになるスコットにとって、この時期の録音はまさに実験の場だった。

若かりし日のスコット・アンセル

ガブリエルとロバート、そしてスコット。この3人によるユニークな制作の三角形が、ザ・ミラーズの音楽に奥行きを与えた。ロバートはよく言っていた。

「録る音よりも、残す“空間”が大事なんだ。」

スコットはその言葉を実践し、マイクの位置や種類を試しながら、各ドラムの躍動と空気の深みを捉えていった。演奏者の感情をそのまま音に刻み込む、そのアプローチがザ・ミラーズのレコーディングを特別なものにした。彼らのセッションは、演奏者たちに自由を与える場としても知られていった。最高のスタジオ環境を手にしながらも、その音はどこまでも生きていた。“スペース・ミュージック”の真髄。

音が空間の中に呼吸し、響き合い、沈黙までもが音楽の一部になる。その一方で、ザ・ミラーズの催眠的で打楽器中心のサウンドは、当時のニューエイジ市場とは相容れなかった。ポリ・シンセのうねる波や遠くに響くチャイムの音が主流だった時代に、生ドラムを中心とした彼らの音は異質だったのだ。

自主レーベル〈Raven Recording〉は、その孤立を武器に変えた。リリースされた作品は数十万枚に及んだが、そのアートワークを見れば一目でわかるように彼らは“売れる音楽”を作ろうとはしていなかったのだ。


2019年、ポル・ヴァルスが初めてガブリエル・ロス&ザ・ミラーズの音楽を耳にしたのは、がらんとしたダンスフロアで、スマートフォンのスピーカー越しだった。流れていたのは『Endless Wave Vol.1』——サイケデリックで、浮遊感に満ちた作品。

その瞬間、彼はすぐに惹きつけられた。やがて彼は、彼らがこれまでに残した膨大なカタログの存在を知ることになる。30年にわたって制作された16枚ものアルバム。そのどれもが、ダンスを通して恍惚と変性意識を喚起するために作られていた。反復と瞑想を軸にしたこれらの作品には、独自の内部ロジックがある。それぞれがひとつ、あるいはいくつかの〈5リズム〉をもとに構成されているのだ。

今回のコンピレーションが初めて新しい聴き手へ届こうとしていること自体が、ポルの粘り強いキュレーションの成果といえる。彼はまず66曲を候補に挙げ、その中から多様な感情と表情を持つ曲を選び抜いた。

「このセレクションには、感情的なもの、神秘的なもの、スピリチュアルなもの、メランコリックなもの、ヒプノティックなもの、あるいはいくつもの要素が混ざり合った曲がある」と彼は語る。どの曲も没入的で親密な空間のために生まれた音楽だ。

〈Raven〉の録音はダンスから生まれた。だからこそ、適切な時間、適切な場所、そして適切なDJの手にかかれば、再びダンスフロアへ還るだろう。

Gabrielle Roth & The Mirrors - Selected Works 1985-2005

ザ・ミラーズのメンバーであり、現在は“ドラム・サークル”のコミュニティを主宰するアーサー・ハルとの対話の中で、ババトゥンデ・オラトゥンジはこう語っている。

「ドラムのスピリットというのは、感じることはできても、手で掴むことはできない。」

ザ・ミラーズの精神もまた、それと同じだ。この音楽は“感じるため”のものであり、言葉にできない領域にある。ブライアン・イーノが『Ambient 1』で語ったように、聴くことそのものが目的ではなく、“存在の状態”へ導くための音楽。角がなく、衝突もない。それはゲシュタルト、個々の要素を超えた、全体としてのひとつの意識。

ダンスとひとつになることで、音楽は部屋の中から消え、ただ“気配”として残る。まるで鏡のように、そこに入ってきたものだけを映し出すのだ。

「この音楽には感情がある。けれど、それが何を感じさせるかは人によって違う。」とポルは言う。

「僕には“美しい”と感じられても、あなたには“悲しい”と聞こえるかもしれない。すべては、その人がどう受け取るかなんだ。」

ガブリエルの言葉を借りれば、そしてこの物語を締めくくるなら、こう言えるだろう。

「これが音楽の話だと思った? 」

Robert and Scott Ansell

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